2011/12/14

ありがとう

Thank you / ありがとう
Thank you / ありがとう / Kanko*

16日に子供が通う小学校で、6年生対象に「感謝の会」というのが、行われるらしい。
趣旨は児童が保護者に対して、感謝の気持ちを伝える会というらしいが、長男から感謝の手紙を書いてと便箋を渡されました。聞くと、親から子供に対して感謝の気持ちを書いてくれと。

うーん、よく叱りはしてても、感謝の気持ちを伝えるってなかなかないですね。それも明日学校に持って行くから、今日中にと。お前、数日間ランドセルの中に入れっぱなしやったやろヽ(`Д´)ノプンプン

怒っていても仕方ないので、この6年間のことを思い起こしながら、感謝とは、ありがとうとはと色々と考えてみました。最近ちょうどTumblrで流れてきた言葉も「ありがとう」だったこともあり、軽く引用しつつ、自分の言葉で伝えられればいいなと思ったけど、どうでしょうね。
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雄生ヘ
小学校6年間、無事過ごすことができました。
3年生までは鹿児島、4年生から南部小と転校してきて新しい生活に戸惑うこともあったと思うけどいつも笑顔で、過ごしてくれました。ありがとう。
毎日の生活では、雄生には気に入らないことの方が多くて、怒られたり、蹴られたりしていじける日々が多いかな。
それでも、次の日にはケロッと忘れて、普通に会話ができる雄生。持久走大会で2位を取ってた時の、笑顔での報告。家ではあまり見せない真面目な面もあるとか。
雄生がいてくれるおかげで、お父さんお母さんも
何倍も成長することができました。
「ありがとう」の反対の言葉は何だかわかりますか?
「当たり前」だそうです。
これからも、毎日の生活は「当たり前」の様に過ぎていくけど、やって当たり前、出来て当たり前と思わず、それが出来ることを本当の意味で「ありがとう」といえるような成長を一緒にしていきましょう。
雄生、いつも ありがとう。
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文才がないので、こんな感じですね。

この文章を書きながら、ハッとさせられたことがあります。彼が生まれた時、足に軽い障害があり、2ヶ月ぐらい入院したこと。病院が当時の自宅から3時間位かけて通ったことを思い出しました。その時は治って欲しい。普通に歩ける足になってほしい。そう思っていました。

お陰様で足の障害は完治し、普通に走ったりすることが出来るようになりました。しかし今では普通に歩けること、走れることが「当たり前」だと思っている自分に気付かされました。たかだか12年前でしかないのに。今こうして、健康な体で生活できること。学校で授業が受けられること。楽しくクリスマスを迎えられること・・・。

「ありがとう」とは「有り難い状態」であって、それは全然「当たり前」ではないということ。そして、「当たり前」と思える日常を普通に授受出来てる状態を「有り難い状態」として毎日素直に受け入れ、感謝の気持ちを持って生活しなければと。

特に今年は震災もあり、普通の生活を送ることの有り難さというのを思い知った年でもあると思います。

子供に頼まれてつらつらと書きながら、こうして気づきをもらえたことも、「ありがとう」といいたい。

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